CSSレイアウト講座 雑記帳 『夜空屋』店主の日常 ~訪問者~ 忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『夜空屋』店主の日常 ~訪問者~

『今年の桜前線は例年に比べて遅れ気味の様です。現在は九州地方に停滞しており、中国近畿地方に到達するのは来週の始め頃と――…』


 『夜空屋』はレジの側に在る棚の上。
 昭和に使われていそうな年代物の据え置きラジオがこの時期お約束のお知らせを垂れ流す中、店の主はと言うと本を片手に座布団に胡坐で座りながら茶をすする…という充実した時間を過ごしていた。ラジオの内容からすれば桜の見頃は遅れている様だが、それでも気温は随分と暖かい。日差しもすっかり春のそれで、時折吹く風だけが少し寒い程度というとても過ごし易い気候は眠気すら誘う程だ。


「春眠暁を覚えず……とまでは流石にいきませんが。良い季節ですねぇ…このぐらいが一番気持ちが良いですよ」


 もう数カ月もすれば一気に気温も湿度もあがって、日本独特の蒸し暑くジリジリとした日光に焼かれる時期がやってくる。巡る四季は日本の美とも言うが、流石にあの独特の気候はあまり好きではないルカとしては、その前のこの穏やかな気候を存分に味わっておかねばと思ってしまうのである。
 だからこそ、今日も今日とて売り物の本を読んでいた。昼も近いこの時間帯、店には客の姿は無い。接客など碌にしはしないが、それでも誰か他の者が居ればそれなりに気を散らされるものだ。この至福の時間は大切にしなければいけない。何と言っても時間という物は取り戻す事の出来ないとても大切な浪費物であり、無駄に費やす事などあってはいけない事なのだから。
 そう、あってはいけない筈なのである。


「――…邪魔するわ」


 店内に響かせるには声量の足りない…しかし、至福の時間をぶち壊すのに十分な声が響く。
 何処の家庭もお昼時という事で家なり飲食店なりに引き込むことの多い休日昼間直前のこんな時間帯に、珍しく客が来たという訳だ。ため息を吐くのは我慢して(流石に客の前である)渋々と読んでいた所に栞を挟み込み本を閉じたルカが視線を上げれば、店頭に一人の少女が立っているのが見えた。
 瓶底、という形容詞が浮かびそうな分厚い眼鏡。綺麗な黒髪は首後ろから太めの三つ編みに編まれ、その背後で尻尾の様に揺れている。服装もそれなりに大人しく一言で現わすなら『文学少女』とでも言えばぴったりな、そんな少女である。年の頃は見積もって多分、十五~十六……高等部に入り立てぐらいといった所か。彼女は、何かを探す様に店内を軽く見回し(そして何とも呆れた様な怒った様な複雑な表情を浮かべていた)始めた。


「……ったく、何処に何があるのかさっぱり分かん無いわ。何なのこれ……」

「初見さんは皆さん同じ事を言いますねぇ。…ともあれ、いらっしゃいませ。何用ですか?」

「嗚呼……其処に居たの。ちょっと野暮用よ」


 声をかけた事で此方に気づいたらしく、カウンターに鎮座するルカを見つけるとズカズカと近付いてくる。遠目から見た印象に反して、妙にイライライライラしている様な足運びと雰囲気とを醸し出しているのが分かる。その表情も穏やかな笑顔でも浮かべていれば可愛らしいだろうに、目つきも悪く眉を寄せて口元もへの字を浮かべていたりする辺り、色々と勿体無い事になっていた。


「アンタが店主…よね?」

「えぇ、如何にも。よろず取扱店『夜空屋』の店主を勤めています、ルカと申しますよ。どうぞ以後、御贔屓に」

「贔屓にするかは分かんないけど…まあ、良いわ。アンタに届け物よ」


 常連客でもないらしい見覚えの無い少女に、届け物をされるような覚えは無いのだが。
 思わず怪訝げな表情で問う。


「届け物、ですか?」

「正確には迷子を預かってきてやったのよ。と言うより、運悪く迷子共に私が無理やり捕まったって感じだけど……ったく何なのかしらあのくそ真面目な草食! しかもその伯父とか言うのも、妙に押しが強くて他人の話を聞かないし…イライラするったら無いわ…!!」

「………はぁ、とりあえず何があったかは分かりませんが……お疲れ様です?」

「ええそうよ疲れたわ本当…っ! まったく…あんな人騒がせな物、放置してんじゃないわよ!!」

「一体何がどうして私が怒られているのかわかりませんが…とりあえず、ご迷惑をおかけした様ですし其処で休みついでに冷蔵庫の瓶ラムネでも一本飲んで行って下さい」

「はぁ…そうさせて貰うわ………あ、その迷子、外で待ってるから…」


 怒る時はそれこそ火山が噴火したかの如くだったのが、余程精神的な疲労を被っていたのか。黙り込んだ途端に一気に元気が無くなってしまった。本当にお疲れな様子に、カウンターからのそりと出てきたルカは駄菓子コーナーに用意してある椅子(菓子を買ってその場で食べていく子供用に用意してある、それ程大きくも無い長椅子である)を示した後、店先へと足を運ぶ。
 さて、迷子とは誰なのやら。ひょいと暖簾を潜り店の前を見れば、少女に迷子呼ばわりされていた二人組の姿があった。片や五十は超えているだろう壮年の男性、片や先程の少女と同じぐらいの年頃であろう少年(だろう多分きっと骨格的に)という異色の組み合わせである。明らかに、この店の客といった感じではない。しかも少年の方は大きめのキャリーケースなどを傍らに置いている様で、どうやらただの観光者という訳でもなさそうだ。
 その二人組は、店の側に立つ風力発電の装置を見上げつつ何やら話しているようだった。耳をすませる。


「……伯父さん…伯父さんってば。ちょっと落ち着いて…!」

「わしは落ちついとるぞ! ……ほぁー…しかしデカいのー…何つぅたかえぇと」

「風力発電のプロペラだよ…パンフレットにあって、間近で見たいとかさっき騒いでたじゃない」

「……騒いどったか?」

「騒いでたよ。此処まで案内してくれたあの女の子も吃驚してたよ? ……にしても、父さんが言ってた『夜空屋』って此処で良いんだよね、多分きっと。ちゃんと看板出てるし…あの子も多分ここ、とか言ってたし…」

「おー…あの娘っ子か。なっかなか気の強い娘子じゃあなアレは。怒られてしもうたし」

「……伯父さんが、あっちこっち珍しいもの見る度にフラフラしなかったら、多分あんなに怒られなかったんじゃないかなぁ。無理を言って案内させてしまってたんだしほら」

「見たい物を見たいと言うて何が悪いのかわしにゃあさっぱりわからんぞ!」

「言う事自体は悪くないけれど、せめて空気を読んで言った方が良かったと思うよ伯父さん」

「……甥っ子が何か妙にわしに冷たい…わしは悲しいっ!! それもこれも、弟の教育が悪いんじゃなそうなんじゃな!?」

「…。……。………」


 無駄に田舎者根性を爆発させているらしき壮年とそれを窘める少年…という妙な絵面だったことが判明した。それはどうなのか大人の貫禄が台無しでは、などと色々思いもしたが敢えて口には出さない。下手に関わりあいにはなりたくないタイプだったのだ。特に壮年の方が。
 しかしそうもいかないのだろう。先程少年の方の口から、ルカの営むこの店の屋号が呼ばわれていた事を考えてみても、どうやらあの少女の言っていた迷子共とはこの二人で間違いは無いらしい。では一体彼らはこの店に何の用事があって来たというのか。

 思い当たる節が無いと言えば嘘になる。先程からの壮年の言動には自分もよく知るある馬鹿と同じものを感じるから…だとか、背中しか見えないが壮年の後ろ姿は十年以上前に会った事のある人物とそっくりな気がする…というのも理由の一つだが、それだけではない。
 記憶に間違いがあるのでなければ、壮年と共にいる少年の横顔には何だか見覚えがあったのだ。いや、正しく言うならば――…その少年に良く似た人物が自分の友人には居たのである。


「何やらエキサイティングに盛り上がっている所を失礼しますが……間違いでなければ、フィアさんの関係者でしょうか?」


 核心は無かったが声をかけてみる。
 効果はてきめんだったようで、先程まで騒がしかった二人は途端に静かになった。振り返って来る。


「…ぬ?」

「……? ぇ…あ、はい。フィアは僕の母ですが……貴方は?」

「間違っていないようで安心しました。では貴方が一人息子のセリスさん…でしたか。初めまして、ルカーディアと言います。貴方を留学中御預かりする話を受けた、『夜空屋』の店主ですよ」

「ぬ、お、おおおおおお!! おんし、もしやルカか! ほあー…相変わらず何も変わらんなぁ……」

「其方はお久しぶりですね、龍殿。蒼とフィアさんの結婚式以来でしたよね。……貴方は随分と外見が老けた割に中身が相変わらずな様で何よりですよ。年齢詐称していると言われませんか? 中身的な意味で。 或いは黙っていればマシなのに、ですとか」

「その言葉、おんしにだけは言われとうないわ……」

「はっはっは……まぁ、とりあえず立ち話も何ですし。どうぞ中へ。店側からでかまいませんから」


 ぼそり、と。
 背後でどこか恨みがましげに呟かれた発言には聞こえない振りをしておいた。


※ ※ ※


 二人を引き連れて店に戻ると、先程の少女が椅子でラムネ瓶を片手にひと休みをしている所だった。


「……一本だけ、貰ってるわよ」


 こちらの視線に気付いたのか、一言断っておくけど…と前置いてそう告げる。勿論忘れてなどいない。どうぞごゆっくり、と返して横を通り過ぎる。途中、その瓶ラムネを羨ましげに眺めて動かない龍(まるで、どこぞの子供が店のガラスウィンドウの前で中にある商品を見つめ動かない時の様な姿ではあった)の襟首をひっつかむのも忘れない。ぐぼぁちょおま喉が締まる息が息が息が…などと騒いでいるが気にはしない。この程度で死ぬ様な人物では無いのは、嫌という程良くわかっているからである。実際そんな伯父の姿に甥であるセリス少年はというと、何とも複雑な表情ながら止めに入る事は無いのがその証拠であった。
 …と、他二人をカウンター内側の扉から居住区画に通した後でルカは店へと再び戻って来る。このまま来客対応に追われていると店が放置状態になってしまう。流石にそれはまずかろう、と思い至ったのである。勿論バイトなど『夜空屋』には居ないのは言うまでも無い。ならばせめて戸締りぐらいは、とカウンター内に何時も仕舞っている「骨休め」とかかれた木札を扉に引っ掛ける為にもそもそと動いていたルカは、ふと、現在店内に残っている少女を思い出した。


「……失礼、お休み中の所を宜しいですか?」

「……? 何よ、何か用?」

「今日来たばかりの初見のお客様に失礼かとは思いますが、店番をお願い出来ますか?」

「…はぁ!?」

「いえ、実は先程の二人と少々積もる話がありまして。店の方に気を配れなくなりそうなのですよ。まあ、今は忙しい時間帯でもありませんしそう長くなる事もないと思いますから、是非お願いしたいのですが」

「ちょ、ちょっとアンタ…!」


 勿論、その拘束時間分はバイト代も払わせて貰うつもりですが…と言えば、さも迷惑だと言わんばかりの視線を向けられた。まあ迷惑なのは承知の上。とはいえ今は猫の手も借りたい所なのだ。この絶好の獲物を逃すつもりは欠片も無い。


「此処まであの迷子を届けただけでも有難いと思ってほしいのに、その上で無茶言うのも大概に――…」

「……では仕方がありませんね……貴方にはもっと面倒な事が待っている事になりますがそれでも宜しいですか?」

「は? な、何よどういう事よ…何で断ったら迷惑な事になるってのよ!?」

「いえ実は…」


 そっと耳元に顔を寄せた。
 声を極力落とし、そっと囁くように告げる。


「先程のあの男性が、此処まで送ってくれたお礼に貴方を食事に誘いたい等とぬかしていましてね。用事が無いようなら引き止めてほしい…と」

「却下!!」



 1コンマ秒すら迷う事無くはじき出された結論は、想定の範囲内のものだ。まあもし自分が同じ立場でも同じ結論を出すだろう。ほんの短い間とはいえ一緒に行動していればその厄介な性格の一端が感じられた筈だ。当然といえば当然の話である。
 ちなみにこんな事をあの男が言ったかというと……勿論言ってなど居ない。そういうタイプの気遣いが出来る人物ではないのだ。まあ、そういう話題を振れば本気で言いだしかねないが流石に其処までするのは彼女にとっても酷だろう。何にせよ、このまま帰ってしまいそうな少女を引きとめつつ更に続ける。


「残念ながら……それで引き下がる男では無いですよ。彼の場合、貴方を探して島中を歩き回ったり或いは島内放送で呼び出してほしいなどと言い出しかねません。諦めがとことん究極的に悪い男なのです。血筋的に」

「どうしろってのよ、それ……」

「そうですね……バイトの件、了承していただければ私が責任を持って彼の意識を反らしその件をうやむやにする様、尽力させて頂きますよ?」

「…。……。………」

「どうですか? 悪い話ではないでしょう?」

「………そうね、悪い話じゃないわね。嫌な話ではあるけど」


 結論を促すルカの言葉に、唸る様に答える少女。今言った言葉の真偽を図る様な疑いの瞳でじっと見据えて来るが、たかだか十数年生きた程度の少女にこちらの心の内を読まれてしまうほどルカは甘くも優しくも無い。
 暫しの睨み合いの後、諦めた様なため息を少女がこぼした。分かったわよやりゃー良いんでしょやりゃー…とぼやきながら、謀ったわねアンタ…とでも言いたげな鋭い視線を寄越してきたがにっこり笑顔で受け流す。


「――…では、宜しくお願い致しますね。何、そう込み合う店ではありませんのでご安心ください? えぇと、」

「拒よ。乗降拒。とりあえず、さっさと早く話を終わらせて戻って来なさい。…さもないと酷いわよ……!?」

「善処しましょう」


 計画通り。小さく笑って踵を返し、再び奥へと戻る道すがらひらりと手を振った。


※ ※ ※


「……しかし、何でまた貴方が一緒に居るんですか。龍殿。てっきりあの馬鹿親か、或いはその細君あたりが来るのかと思っていたのですが」

「……言いたい事はそれだけかぁの……」

「と言うかですね。まず来るなら来ると事前連絡ぐらいして下されば、他の方の手を煩わせずに済んだんですが」

「す、すいません……伯父さんにも、そう言ったんですけど…行けば分かるだろうとか言いだして……」

「貴方が謝る事はありませんよ、セリスさん。イギリスから遠路遥々お疲れ様でした。貴方の部屋は二階の奥の部屋ですから、荷物を置いてらっしゃい。あ、先日御実家から送られてきていた他の荷物もその部屋に置いてありますから一応確認してもらえますか?」

「あ、はい。有難うございます」

「……無視は流石に酷いと思うんじゃが……」


 セリスが荷物を持って部屋を退出した後。げほっ、と咳き込む音に混じる文句に視線をやれば、何とも冷たい目をしてルカを見ている(というか、最早睨んでいるといった方が正しい)喉を押さえた男――神代蒼の兄であり先程の少年の伯父にあたる、神代 龍(クマシロ リュウ)の姿があった。随分と呼吸が荒いのは、先程この和室に通すまで襟首をひっつかんで喉に全体重がかかった状態にも関わらず問答無用でルカが引き摺って来たからに他ならない。


「あ、すいません。神代の家の方にはついつい雑な対応をしてしまう持病がありまして……げほげほ」

「何がげほげほ、じゃ!? おんし、わしを殺すつもりか!?」

「大丈夫です。蒼の兄上ですよ? ………この程度で死ぬ筈がありません

「何を無駄に信頼に満ちた笑顔で言うておるか!? ……あの式の折も随分とまぁ色々煮え湯を飲まされたもんじゃが…アレより酷うなっとるな。蒼の言うた通りじゃあの……」

「はっはっはっ、御褒め頂き光栄ですね」

「褒めとらん…!!」


 ギャンギャンと年甲斐も無く吠える龍に、まあまあ落ち着いて血圧上がって頭の血管が切れたら死にますよ結構な確率で人間ならばまあ静かになって私としては有難いですが…などと、フォローになるのかならないのか微妙な言葉をかけつつ御茶を差し出せば、ようやっと大人しくなった様だった。差し向いに座れば熱いお茶を冷ましつつ飲む様子を眺めつつ口を開く。


「ともあれ、遠路遥々貴方もご苦労様です。山形くんだりからこの戌亥ポートアイランドまでとなると、英国からというあの子には負けるとはいえかなりの移動距離だったでしょう。今日は泊っていかれるんですか?」

「いんや、この後直ぐにとんぼ返りよ」

「おや、それはまた忙しない事ですね……蒼に扱き使われるだけ扱き使われた形になりますか。お疲れ様ですよ」

「弟に扱き使われるのは気に食わんとはいえ、まあ……滅多に会えぬ甥っ子の来日じゃからの。しかも此処に来る切っ掛けを作った手前もある。せめてこのぐらいはしてやらにゃあというだけの事よ」

「しかし良いんですかね? 一応遠方とは言え、伯父の貴方がいるのに私があの子の保護者といいますか保証人といいますか身元引受人になっても」


 そうしてくれ、と以前電話にて詳しく話を聞いた際に蒼には頼まれていた。まあ自分としては必要以上に面倒事を持ちこんでこないのならばその程度はどうと言う事も無い。構わないといえば構わないのだが、それでも身内が日本には居るのに良いのだろうかと迷うのは当然の事だろう。
 確認するよう問えば、ずずず…と行儀悪く茶をすする龍は頷いてみせる。


「構わんよ。流石にわしの居る場所は、最近は交通の便が良いとは言え遠方すぎる。いざという時に対応も出来んのではセリスも困るじゃろうしの。おんしならまあ、…下手な者に任せるよりかは安心出来るというものじゃからな」

「貴方もなかなか買い被ってくれますねぇ」

「おんしは、冗談は腐るほど言うしどうでも良い時には法螺も吹くが、重要な事柄に対しては絶対に嘘をつかんからな。正しく確定した約束を違える様な真似はせん……そう聞いとる」

「…やれやれ、余計な事ばかり喋る口ですよねぇ蒼の口は。その内、縫い付けてやるべきでしょうか」

「あの馬鹿の細君、フィア殿もそう言うておったぞ」

「………」

「フィア殿の言葉ならば反論せんのかおんし」

「彼女には色々と…まあ、恩がありますからねぇ……蒼の様に迷惑ばかりかけていた方とは大違いです」


 爪の垢を煎じて飲ませれば治るでしょうかね…等と眼鏡のブリッジに手をやりながらのたまうルカに苦笑する龍は、何処に忍ばせていたのか一通の書状を差し出してきた。何の変哲もない白の封筒は、その表面にルカの名前が書き込まれている。流れる様なその筆跡には見覚えがあった。随分久しぶりに見るが…まさしく話題に上っていたセリスの母親であり蒼の奥方であるフィア=マジョリス、その人の物だ。


「これは?」

「おんしへの手紙の様ではあるの。詳しくは知らんよ。息子を預かってもらう立場からのお礼だの何だのでも書いとるんじゃないかの? 随分と礼儀正しい性格をしとるからなぁ」

「…そうですか。まぁ、後で読ませて頂きましょう。で、龍殿。貴方は何時にこの島を立つので?」

「そうさなぁ・……なるべく早い方がよかろ。遅く出ればそれだけ帰りも遅くなるというものじゃ」


 確かにそれは道理だ。では次の便は何時頃だろうと現在時刻を確認する為に壁の柱時計(螺子巻き&振り子方式の大きなのっぽの古時計である)を見れば、時計の針はちょうど十二時半を指し示している。


「これからならば、あと二十分もすれば横浜港行の『よもつひらさか』が来ますか。そろそろ店を出た方が良いでしょうかね。……また迷子になられては困りますし、送って差し上げますよ」

「なはは、すまんの。……では、ま、早速」

「…ごめんなさい! ちょっと片付けに手間取って……って、アレ、伯父さん? どうしたの?」


 そこに荷物の片付けやら何やらを終わらせて来たらしいセリス少年が帰ってきた。帰り支度をしている伯父の様子に驚いている様だ。どうやらまだ暫くは居るのかと思っていたらしい。


「そろそろ帰宅を開始せんと流石に遅うなるからな。ルカが駅まで今度は送ってくれるそうだし、ものれーると言ったか? アレももう少しもしたら到着するらしいんでの」

「そっか……」

「セリスさんはどうします? 留守番でも良いですが…一緒に御見送りに行きますか?」

「あ、…はい!」


 そういう事で、結局三人そろって外出となった訳である。
 ちなみに店の方はというと、今度は流石に閉めておいた。ちょっとそこまで、と言うには入島管理セクションは此処から距離があり過ぎるのだ。しかも、自家用車があるでもなく公共機関を使って移動する事にもなる訳で、店を放置する時間はきっと随分長くなる事だろう。その間、全てをあの少女に任せると言うのは流石に酷だと判断したのである。

 出かける前に店の方にルカが戻って来ると、あの拒という少女はちょうど初等部のお客さん相手に(不機嫌げな態度は崩れていなかったが)店番をしっかりと果たしている所だった。おねーさんありがとー…と声を揃えて店を後にする小さなお客が姿を消すと、こちらの気配に気付いたのだろう拒は相変わらずイライラしたものを含む鋭い眼差しを向けて来れば口を開いた。


「――…五十八分経過。長くならないって言ってた割には、随分時間をかけたもんね」

「申し訳ありませんね。御手間をおかけしました」

「本当、面倒ったら無かったわ…! ったく、こんな事をするのは今回だけよ!? もう二度と店番なんかしてやるつもりは無いからそのつもりで居なさい!」

「そうそう店番を頼む機会に恵まれる……というのは無いと思いますがねぇ」


 年上に対するとは思えない態度ではあるが、しかしまあ御怒りもごもっとも。今まで店番をしてもらえていただけでも有難いのだ。とはいえ、流石に微苦笑を浮かべつつルカは雑貨の棚を物色し、手近な所にひっかかっていた小さな手提げ(一時期流行ったエコバッグというやつだ)を手に取れば拒の元まで歩み寄る。


「……何?」

「バイト代、ですよ。流石にお小遣いを差し上げる…というのは学院への許可申請云々の関係から問題になる可能性もありますので現物支給で。この手提げに好きな物を好きなだけ詰めて御持ち帰り下さい」

「随分と奮発するわね」

「こちらとしては助かったのは確かですし、色々とご迷惑をおかけ致しましたからね。せめてもの罪滅ぼし…と御思い下さい」


「ふん……まぁ良いわ。それで手討ちにしてやろうじゃない」


 口の端を軽く釣り上げる様な独特の不敵な笑みを浮かべると、ひったくる様に手提げを受け取る拒。かと思えばすぐさま菓子棚に向き直れば、無造作に菓子を引っ掴みわしわしと袋に詰めていく。詰めれるだけ詰めた所で最後にドリンククーラーを手荒く押しあければ、瓶ラムネを一本だけ袋の最後の隙間に放りこみ、バタンと閉めた。


「これで良いわ……じゃ、私、もう帰るから」

「はい、御苦労さまでした。またの来店をお待ちしてますよ、拒さん」

「……それはちょっと考えさせてもらうわ」


 最後の言葉は心持ち元気なく呟いた眼鏡少女は、踵を返せばどこかへと帰って行った。その後ろ姿は、年齢の割に随分と悲哀と言うか疲労と言うか何と言うか、色々なものを漂わせていた様だったが…まあ、無理も無い事だろう。
 その姿が見えなくなるまで見送った後、ルカは『骨休め』の木札を扉にかけ鍵を閉め裏の門の前に待たせておいた二人の元へと戻れば、一路戌亥ポートアイランドは入島管理セクションへと向かうのであった。


※ ※ ※


 時刻はそろそろ十三時も近くなってきた頃。
 休日とはいえ場所が場所だからか人の姿は少ない中を、ロン毛で着物な外人と旅行着の壮年&少年という組み合わせは無事に目的地へと到着した。既にモノレールは到着している様で、流体力学だか航空力学だったかを駆使して造られたというその近未来的な流線形の車体を、惜しげも無く春の陽光の下に晒しているのが遠目にも見える。

 『よもつひらさか』という神話に聞くなかなか不吉な名前を持つそのモノレールは、この戌亥ポートアイランドと本土を結ぶ数少ない手段の一つだ。ネーミングセンスは微妙だが、その乗り心地は世界中に在るどの列車やモノレールよりも素晴らしいと言われている。鉄道マニアなどにとってはレアな乗り物の一つであり、よく休日になると写真を撮りにカメラ持参のマニアが二、三人乗っていたりもするのだが……どうやらこの便には誰も乗っては居ない。
 ほぼ貸し切り状態のモノレールに無駄に龍がはしゃいで恥をかいたりしたら笑い話にしかなりませんね、などとどうでも良い事を考えながらゲート向こうの車両を眺めているルカの横では、乗車券を購入し出島手続きを済ませた龍とセリスの間で会話が交わされているようだった。


「伯父さん……本当、今日は御世話になりました。初めての日本って事もあって緊張してたんだけど、伯父さんのおかげでちょっと気楽になれた気がする」

「そりゃあ良かったの。まあ、後で蒼やフィア殿に電話してやるんじゃぞ? 今頃、ちゃんと着いたか如何なのか…とハラハラしとるじゃろうからなぁ」

「はい…そうします」

「……ん? 何をしょげとるんじゃ、おんしは」

「えっ、そ、そんなことは無いってば…ただ、ちょっと残念だなぁって。せっかく伯父さんと久し振りに会えたのに、殆ど話も出来なかったし……」

「……なぁに、これが生涯の別れでもあるまい。また学校生活に慣れた頃に長期休みもあろうから、そん時にわしの家に遊びに来いや」

「はい」

「ルカに苛められたら、わしなりおんしの両親なりに電話せぇよ? 懲らしめに来てやるからの」

「あはは……はい、その時はお願いします」

「さり気なく失礼な事を言わないで下さいよ、龍。私がそんな事をすると思われたら悲しいです」

「なぁにが悲しい、じゃ。心にもない事を言いおるの最後の最後まで。……とりあえず、これから何年か、宜しゅうの。ルカ」

「えぇ。まあ了承してしまった分、ちゃんと責任は持ちますよ。では御気を付けて」

「またね、伯父さん」

「おう、じゃあの」


 こうして、騒がしい台風の様な男は二人に見送られつつ島から帰って行ったのだった。


※ ※ ※


 その夜の事。
 詳しい話や手続きやらは明日から、という事で旅の疲れもあるだろうからと早めにセリス少年を休ませたルカは、縁側に腰かけたまま煙管を片手に夜空を見上げていた。島内の街の灯りがある分満天の…とまではいかないが、それでも其れなりの量の星が鮮やかに夜の闇の中に散らばり、瞬いている。
 その星空からスッと視線を降ろし庭の中を見回したルカは、目的のものを見つけて眼鏡の奥で蒼い双眸を細めた。


「成程、確かに……あの馬鹿の血筋、というのは確かなようですね」


 誰にと言うでもなく呟かれた言の葉が響くと同時、――…庭の隅に凝っていた影のひとつが、ルカへと襲い掛かる!

 ヒュオッ…という風切りの音を響かせ鋭い爪で喉元を斬り裂かんとするソレを、ルカはと言うと焦った様子も無く落ち着いた態度で煙管を一振り、あっさりと弾き飛ばした。獣の様な悲鳴が一瞬響くが気にした様子は欠片も無い。
 縁側から腰を上げるルカが見降ろしたその先、地面に叩き付けられたままグルグルと唸る鎌にも似た形状の前足をした鼬の姿がある。明らかに普通の生き物ではない。俗に言われる妖怪…つまりは妖かしである。そして自分の予想が正しいならば、そんな存在は何も此処にいる一匹だけではあるまい。目に見える所に居ないだけで、庭のあちこちに集ってきているのだろう。

 この戌亥ポートアイランドはありとあらゆる種類のオカルトを肯定する島だ。故に、異形も集まりやすい場所ではある。とはいえ…大体は適当に人目に着かない場所でふら付いている程度。こんな風に一ヵ所に集う事は少ない。
 となれば、原因は今の所一つしかあり得ない。


「龍殿が居なくなって数時間程度で、これだけ集まってきているとは。あんな方ですが腐っても腕利きの神職にして修験者…という事でしょうかね。その存在だけで異形を祓う。……やれやれ、人は見た目によらないものですよ本当」


 その鼬もどきの前足を封じる様に片足で踏み付けながら、周囲に意識を巡らせる。それ程強い気配を漂わせるほどの存在は集まっていない。数は無駄に多いが、少なくともあまり頭の良い者は居ない様だ。ほんの少し挑発しただけで実力差すら考えずこうやって突っかかって来るのである。脅威、とまで言う程の事はなさそうだ。
 とはいえ、まだまだ未熟な術師ではこの量は手を焼く事だろう。今まで親族の保護下という環境にあったのが急激に変わるのだから、随分と戸惑う筈だ。何にせよ多少釘は刺しておくべきだろう。余計な面倒が増えるのは遠慮したい所なのだから、その芽は幾らか摘んでおくに限る。


「とりあえず…好奇心旺盛なのは結構ですが、だからといって必要以上に手を出すのは御遠慮下さいね。御触り自体は本人が気にしないならば厳禁…とは言いませんが。私としても、頼まれた以上は約束を護りたいんですよ……」


 庭に集う者へ投げるルカの声は何処までも淡々としたもの。今の今まで体重をかけて前足を踏みつけていた妖かしを解放すれば、その襟首を掴み上げ敵意を秘めた円らな瞳を覗きこんだ。途端、それまでキィキィと悲鳴にも威嚇にも似た鳴き声を上げていたその生き物は、全身の毛を逆立てて動きを止める。いや、正確には動きは止まらない。その小さな身体は、まるで恐ろしいものを見た者の様にカタカタと震え始めていた。


「――…御気をつけください? 私は決して甘くも優しくもありませんから、ね」


 その反応に満足げににこりと微笑んだルカは、言うだけ言ってしまうと無造作に獣を解放し家へと戻るために踵を返す。一見、それはまったく無防備な背中だ。言わば目の前に晒された大きな隙の瞬間であり、狙うならばこのチャンスを逃す手は無い。
 だというのに、しかし。ルカが縁側から建物の中に入り窓を閉めてしまうまでの間、その背に襲いかかろうとする者はどういう訳かその場には皆無なようだった。


※ ※ ※
 

 こうして。
 『夜空屋』にまずは二人が揃った。
 戌亥ポートアイランド一謎の多い店主と、まだまだ未熟な召喚術師。

 彼らが送る『日常』は、確かにこの日から始まったのだ。



※あとがき※

 そんな訳で、ルカさん視点第二弾。
 セリス君が島に来る所を彼からの視点で見てもらいました。

 …ゲストは拒ちゃん、ということで色々かわいそうな羽目になっていたけども。
 この後もちゃんと店に来て利用してもらえてるかは…さてはて?

 まずは二人が揃った『夜空屋』ですが、三人目まではまだ暫しかかったりするのです。
 その話は、とりあえずもう片方のシリーズでお先に語れるのでは…と思いつつ。


拍手

PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Trackback

この記事にトラックバックする:

Copyright © 雑記帳 : All rights reserved

「雑記帳」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]