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「……さすがに、そろそろ……キツイ」
何処までも無垢な白に染まる塔に、荒い呼気と共に呟きが響いた。
早、何時間あれから経っただろうかと思考を巡らせようとしたが、どうにも身体だけでなく頭にも酸素が足りていない現状では碌に脳が働いてくれない。と言うよりも、そんな事を考えている余裕など微塵も無くて体力の限界にその場に倒れこむのが関の山だった。
ごろりと身体を横に出来る程度に面積がある此処は、この縦に長大な建物の角に来るたびに階段の途中に設けられている踊り場の様な場所だ。その表面はやはり階段や内壁と同じでまるで白い陶器の様なもので、延々と強いられている運動に火照った身体にはひんやりと冷たかった。
目を閉じる。そのままゆっくりと息を整える。体中に溜まる疲労を回復する事は流石にできないが、それでも呼吸だけは落ち着いてきた。その事に安堵しつつ、そっと転がったまま周囲を見回した。
一面の白、という光景は目に慣れてきたとはいえそれでもまだ痛みすら感じる。何と言うか…目に悪い。早く他の色も目に入れたいと思うのだけれど、他に色がある物と言えば自分の服やら身体ぐらいのものしかない訳で、結局どうにもならないと言うのが現状である。
一方、天井はまだまだ高い。何処まで在るのか霞んでいて見えないぐらいだ。逆に最下層は此処からでもまだ判別できる場所にはある。随分と登って来たとは思うが、それでもまだこの建物の半分も到達していないのかもしれないと思うと一気に気分が萎えてくるから困るものだ。
「これ、何処まで続いてるんだろう…本当」
仰向けに転がったまま呟いた。何時まで経ってもこれでは出れないのでは…という恐怖すら一瞬感じたが敢えて考えない事にした。何時ものプラス思考を忘れてはいけない。どんな時だって、諦めさえしなければ何とかなる筈だ。
少し力を入れて両手で頬を叩く。パァン、という小気味の良い音が白の空間に響き渡った。まだ行ける。まだ身体は動いてくれる。そう気合を入れて立ち上がればふと、その視界に一瞬よぎるモノがあった。
光だ。
「……え……?」
気のせいかと思った矢先、呆気にとられる視界の隅にまたチラリと横切る輝き。気のせいでは無い。赤でも青でも緑でもない、何とも言い難い絶えず変動するかのように色彩を鮮やかに変えるそれは、まるで極光にも似た光の筋の様に見えた。
それが、先程から視界に入るこの建物の壁、その表面をものすごい速度で走っている。ただあまりの速さで、あまりの細さで、しかもその輝きはそれほど強くも無かった為に今まで見逃していたけれど、気がついて見ればそれは至る所を縦横無尽に走っていたのだ。
その事に気付けば、周囲はあっという間に景色を変えた。ただののっぺりとした白い壁というだけではない。その表面を、点として線として面として何かを描き出そうかと言うかの如く走る光は、絶える事が無いようだった。
試しに指先を壁に触れてやると、光はそれを迂回する様にして流れ去る。そして離れた場所に何やら複雑な図柄を描いて消滅していく。時に文字や図形の様な物すら垣間見る事が出来て、それだけで何となく心が躍った。先程までの延々と続く階段に対する暗鬱とした想いが嘘の様に晴れてしまっていた。
これが一体何なのかは分からないが、とてもとても興味深い。文字や図形もあるし、もしかしたら自分でも理解できる様なものもあるんじゃないだろうか。そう言う物があったらとても面白いんじゃなかろうか。…気になる物が目の前にあると、何よりも好奇心が先立ってしまう。そういう性格なのだ。
のそりと起き上ると、壁に手を突く様にしてさらに上を目指す。先程まではただただ上を見上げ、出口を探しては見つからない事に嘆いていたが今度は違う。周囲の壁をキョロキョロと見まわして、何か面白いものは無いだろうかと探しながらの道行だ。疲れた体ではあるが、それでも心だけは弾ませて軽い足取りで階段を上る。
その目に、唐突に壁にぽっかりと開いた穴が映ったのは登りだしてから数分も立たない内の事だった。大きさとしてはちょっとした扉より高いぐらいの四角い穴だ。核心は無いが、この建物からの出口…だろうか?
思わず呆気にとられる。こんなもの、今まで何度も上を見上げていた自分の視界には無かった筈だけれど。ふと気がついて下方を見れば、ちょっと前まではしっかりと判別できていた最下層はまったく霞んで見えなくなっていた。逆に天井は随分近くに見える。何と言う事だろう、まったく気付かない内に自分はかなりの距離を飛び越える様にして建物の最上層に到達していたと言うのか。
距離の概念を超えた場所、ということなのかもしれない。一番上に行こうとか、或いは外に出ようとする意識をすればするほど囚われてしまう場所なのかも…と思案しつつその穴を潜る。そこは真っ直ぐな一本道で、少し歩けば一気に視界が開けた。
夜が、其処には広がっていた。
真っ暗闇の中、広がるのは満天の星空。それも生まれてこの方見た事も無い様な、数え切れない程に無数の星が煌めく美しい夜空だ。戌亥ポートアイランドからの星の少ない夜空にすっかり慣れていた事もあって思わず息を飲む。
更にその中央。まるで落ちて来たかの様に近い場所に、涼やかな光を宿す満月が輝いていた。青白い月光を地上に降らせる其れは、手を伸ばせば届くんじゃないか…そう錯覚させるぐらいに大きくて、普段の空に在るものより随分近くにある様に感じる。
とても、綺麗だった。幼い頃より天体観測は自分の趣味だ。観測しなくても、ただ見上げているだけで何時間でも過ごせる。それぐらいに好きだから、うっかり見入ってしまう所だったけれど慌てて意識を引き戻す。そう、自分が何故此処にいるのか。まずそれを解明してからだ。帰れる参段がついてからなら、明日(もう日付が変わっているのならば今日だけれど、残念な事に時計を身につけて寝て居ないため分からなかった)は休日だし時間ギリギリまで眺めていても問題無い筈。
周囲を見回す。誰かいないかと思って上がってきた訳だが、人の姿は欠片も見えなかった。気配すらない。その事に落胆しつつも観察を続ける。
どうやら此処は塔の屋上の様なものなのだと理解できた。更にこの建物自体が仄かに光っているらしい事もわかる。暗闇の中でも何も見えないと言う事にならないのは、どうやら月光やら星灯りだけではない様だ。振り返れば、今自分が出てきた所がこの四角い屋上の四隅に立つ小さな塔の一つなのだと言う事も見て取れた。高さにして三~四メートルぐらいだろうか。あまり高くは無い。シンプルな三角錐の様な形をした側面に四角い穴がぽっかりと空いている。
「…―― おや、漸く辿り着いたかな?」
急に声が響く。男性の、とても涼やかで、穏やかな声だ。聞いているとそれだけで安心してしまうような、そんな心安らぐ声音。
だが其れに安心したかと言えば…そんな事は無かった。声は自分の背後から聞こえていた。そんな事は、本来ならあり得ない。だってさっき見回した時誰もこの屋上には居なかったのだ。隠れる様な場所は欠片も存在しない、そんな場所に唐突に表れるような存在なんて、絶対に普通じゃない。
ゆっくりと振り返れば、ほんの数メートル程離れた所に一人の青年の姿が在る。
年の頃は、見た目だけならば二十代前半から後半にさしかかったばかりといったぐらいか。背は自分より高い。しかし自分の知る中でもトップレベルに高いルカ等よりは低い様だった。せいぜい十センチ、自分と違うぐらいかもしれない。法衣の様なあまり見慣れぬ裾の長い服がとても印象的だった。何処の物とも言えない不可思議な印象を与える衣装だ。そして、床を引きずる程に長そうな夜色の髪。色白で端整な顔立ち。神秘的な印象を与える深い色の紫紺の双眸。
「しかし…『君』が此処に来るとは。流石に予想はしていなかったよ。まさか此処に来れる程に強い想いを抱く時が来るとは……とね。偶然たまたまだとしたらなかなか凄い事だとは思うけれど」
「…ぇ、あの…」
何を言っている?
分からない。ただ、どうやら『彼』は自分の事を知っている様だ。そんな口振りではある。
だが、自分は『彼』を知らない。会った事があれば忘れる様な相手ではなさそうなのに。
「……いや、違うか。君は来るべくしてきたのだろうね。世に偶然なんて在りはしない様に、此れもまた世界の意思なのかな? ……何にせよ、君は此処に辿り着くだけの強く純粋な願望を持っていたと言う訳だ」
「願望……?」
「そう、願望こそが『僕』と邂逅する唯一絶対の鍵だからね」
復唱する言の葉を肯定し頷く青年。
「…――ともあれ、ようこそ。全ての真理の混沌の扉にして世界の裏側たる白の塔へ。僕は君を歓迎しよう、セリス=マジョリス」
そう言って。
『彼』はにこりと微笑んだ。
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