笛や太鼓の音が夜に響く。
広場には大きな焚火が焚かれ、その周囲には多くの人が集っていた。酒を飲む者、御馳走に舌鼓を打つ者、各々に持ち寄った楽器を使い賑やかな音楽を奏でる者、隣り合う者と雑談を交わす者…その全てに共通するのは、笑顔が絶えない事だろうか。誰もが皆、楽しそうに嬉しそうに笑っているのだった。
「今年の祭りも大成功…良い事ですよ」
「そうですね、伯父上」
その光景を少し離れた場所から眺めている二人組が居た。
片や二十代中程、片や五十は超えていそうな壮年である。それぞれに祭りを楽しむ一同の様子を見ながら、穏やかな表情を浮かべる様子には、まるで子を見守る親の様な貫禄すらある。とはいえそれもその筈。彼ら二人は、この集う人々の上に立つ者として里を治める側の人間なのだった。
「魂送りの儀も先程済ませましたし、後はまあ……羽目を外しすぎない程度に楽しんでもらえたら一番かな、という感じで。僕らがやる事は、全部終わりましたからこれで一安心です」
「すっかり長の役職も慣れたものだね、アレイク君。この里に腰を落ち着けてからもう十年というのもあるんだろうけれど…これも蒼阿の手際の良さが遺伝したかな? それともやはり老師の教え方が良い…と事なのかな?」
「そ、そんな事は……まだまだです。修行が足りない、とお師様にはしょっちゅう怒られますから」
秋も近い満月の夜。下界に開くという黄泉の門から現世へ溢れ出す死者の魂を鎮め、再び門の彼方へ返すというこの時期毎年恒例の儀式である『魂送りの儀』。里の皆が見守る中、その儀式の中心人物として一仕事済ませてきたばかりの青年は、前里長であり故人である父親の名前まで出されて褒められた事に苦笑した。肩を竦めて言う言葉には苦いものが混じっている。
アレイクの師である龍老師は自分には甘い(らしい)方だが弟子には厳しいタイプの人間だ。もし100%成功していたとした所で、それでも尚やれ最悪を想定した対策やら何やら諸々のものを求めてくる事だろう。もう数十年は彼を師として学ぶ者達にとっては、褒められる事自体がレア化しているという噂すらあるぐらいなのだから当然と言えば当然の話である。
とはいえ…それでも彼は厳しくはあっても理不尽では無い。本人を目の前に表には出さないものの、それなりの正当な評価はちゃんと下しているものだ。それは、長い付き合いになる者ならば実はよくわかっていたりするのだが。
「ははは。老師は何時でもそんなさ。でもそんな風に言っては居てもちゃんと見る所は見ているからね。君の事も大きく評価している様で、良く私にも自慢をしに来るよ」
「兄弟子にあたる伯父上にそう言われると…何だか照れます」
ぶっちゃけ、自慢されまくってました。そう暴露してやれば言葉の通り照れくさいのか、さり気なく視線を外しつつ頬をかくアレイクの肩を壮年はポンポンと軽く叩きつつ小さく笑った。最近貫禄の様なものすら出てきた甥っ子はしかし、どうも小さい頃から幾ら褒められても褒められ慣れない所は変わらないらしい。
「それにしても、伯父上だなんて固い呼び方は私には似合わないよ。アレイク君。昔のように気軽に呼んでくれ、と何回言えば良いんだろう? それにそんな敬語も私などには勿体無いさ」
「そうは言いますけれどそこはこう……立場とかもありますし…」
「誰も気にしないと思うけれどねぇ……まあ、君が嫌というなら無理強いはしたくない所だ。諦めようか」
「……!? お、伯父上そんな悲しそうな顔しなくても…!?」
「え、そんな顔をしていたかな私は…?」
「わ、わかりました……呼び方だけ、ですからね?」
「良いのかい? ふふ、それでも嬉しいよ私としてはね」
さぁさっそく今すぐ呼ぶんださぁ!
そんな目線から、何とはなしに視線を外しながら(見ていると気恥ずかしくなってくるのだ)アレイクはぼそりと呟いた。
「えーと………す、…萃狼伯父さん……」
「はい、良く出来ました…! …嗚呼久々だなぁ…何年振りだろう!」
(……この反応が嫌だったんだよなぁ……無駄にハッスルしちゃうし)
穏やかかつ物静かそうな紳士的な外見とは裏腹、一気にテンションアップで子供の様にはしゃぐ父の兄にあたる伯父、萃狼の様子に。アレイクが思わず遠い目などしてしまうのも、まあ、無理からぬ話ではあった。
※ ※ ※
一方その頃。
祭りの喧騒からはかなり離れた里長の邸宅のある一室も、また、何時になく賑やかだった。
「ほぃじゃが随分とまぁ大きゅうなったのぉ」
「それは仕方が無い。最後に会った時はまだ私も十代だったんだから」
「ぬしらと別れたんは確か、おんしが十八ぐらいの頃だったか…それから数えて早、十数年以上じゃからの。そりゃあ変わって無い方が恐ろしいわ!」
「逆に……師匠は変わらないな。リザードマンだから年齢が分かり難いというのもあるんだろうが」
「人間じゃったら皺じゃぁ白髪じゃぁで分かりやすかろうが、わしの種族は鱗じゃぁ角じゃぁにある年輪模様で年齢を計るもんじゃけぇのぉ。仕方も無い話じゃぁ…!」
ドッと笑い声が響く部屋の中には、複数の人影があった。
一人は天井に着くほど、とまでは言わないがしかしかなりの長身巨躯を誇る人物である。その頭はトカゲそのもので、着衣に覆われていない部分からは全身を覆う美しい青い鱗が覗いていた。しなやかな鞭を思わせる長い尾が、時折ゆらりゆらりと揺れている。その隣で丸椅子に座るのは紅の法衣に身を包むこちらは人間の男性だ。年の頃は六十過ぎといった所か。黒髪の中に白いものが多少目立ちだす頃合いといったナイスミドルな見た目ではあるが、先程からその表情は友人をからかって遊ぶ子供の様にどこか無邪気なものであったりする。
そして最後の一人は、部屋の窓際に近い場所にある大きめのベッドに横になったままのこの部屋の主である女性であった。長い黒髪に紫紺の瞳。先程からの会話に対しての表情は乏しいながらもどこか穏やかなその双眸は、確かにこの雑談を楽しみ笑んで居る証であるのだろう。
「昔はあがぁにこまかったんに……もう確か結婚しとるんじゃね? 信じらりゃあせん」
「結婚は……十年ぐらい前だったかな。自分自身でも結婚出来るとは思って居なかったので驚いたものだが。しかし師匠、そこまで言うか…」
「シンの奴が覚えとるおんしの姿は、そりゃもうまだ娘仔だった時分のものだろうからの。しゃあないものはあるんじゃろうが」
「ちなみに相手はどこの誰なんか? わしも知っとるヤツじゃろうか」
「師匠が知っているかは知らないが……確か…私から遡って祖父の兄の息子の子供、とか言っていたな。まあ、遠縁の親族という事になるんだろうが」
「何じゃっちんさい! 萃狼のところのガキか!!」
「父親に似て真面目で誠実での、まあ、任せても大丈夫じゃろう…とわしも太鼓判を押したもんよ。双子の兄のアレイクの奴が最後まで心配しとったが……アレは、吾奴にとっても幼馴染。知らん相手では無い分、ようわかっとる。結局、最後は折れて認めておったようだが」
「……蒼阿が生きとったら、こう簡単にゃあいかなかったんじゃろうね」
「そうじゃの。一発二発殴られる程度で済めば幸いじゃろうが、そうはいかんかったろうなぁ……下手したら世界の裏側まで引っ張って行かれてそのまま放置。帰ってこれたら認めてやるかもしれないがわからんぞ…ぐらいは言いかねん」
「……どんだけ無茶な父親だったんだ。私の父親は」
今までチラホラと聞く機会もあったものだが。しかしそれでも、二人のもしも父が生きていたらの場合を想定した話を聞くになかなか無茶な人物だった事が窺える。自分や兄とはあまり似ていないのは自分達が物心つく前に亡くなったからなのかもしれない。それが幸いだった、と言えるかどうかはまた別の話だが。
「ちなみにウタリよ…ガキは?」
「一人。息子が居る。今頃は同年代の子供と一緒に広場で祭りに参加しているんじゃないだろうか」
「蒼阿の若い頃に、見た目も才能的な意味でもこれがよぅ似とってな! 今はアレイクに師事して見習いをやっとるよ」
「そりゃぁ将来が楽しみじゃの。また後で顔を見とくか」
豪快に笑う。牙を剥く様な独特さから無駄に迫力のあるその笑顔は昔に見たものとなんら変わらない。相変わらず明るく迫力のあるその笑顔に、幼い頃は随分と驚かされたものだ…などと、そんな過去の情景を思い出していた女性――ウタリは、ふと、自分へ何時からか向けられていた視線に気付いて顔を上げた。首を傾げる。
「……? 何だろうか、師匠?」
「いや、実は先程から気になりょぉったんじゃが……わりゃぁ今年で何歳になるんじゃったろうか?」
「今年で…? ……確か、三十七だが」
「それにしちゃぁ随分若く見えるんじゃが……人間っちゅうもなぁこういう種族じゃったろうか」
鱗に覆われた顔に浮かぶ明らかな疑問の色に、さてどう説明したものかと沈黙するウタリ。その横から別の声が割って入った。
「なぁに、おんしも幾らかは蒼阿から聞き知っておろうが。シン。魔狼の正式な主となったからには付き物の弊害よ。とはいえ
女子ならその方が嬉しい…やもしれんな」
既に三十も後半だという弟子の、しかしどう見ても二十歳後半といった辺りの若々しい外見。種族の違いからのものなのかと首を傾げるトカゲ男――シンに対して、『龍老師』とウタリに呼ばれていた壮年の男が真面目な顔で一つの言い伝えにして事実でもある事柄を語る。
ツキアミ家に延々と伝わる血筋に憑くという魔狼。その正式な主となった者には、魔狼の加護と絶大な力を得る代償として自らの『時』を奪われる。その結果、寿命はそのままに肉体の加齢だけが止まってしまうのだという。周りの友人知人などが当たり前の様に年を重ね老いていく中、自分だけは変わる事が無い――この異常な状態を望まぬ歴代の継承者達からは「これは一種の解ける事無い呪いの様なものだ」とも言われ、魔狼達が忌まれていた原因であったりもするのだが…その辺りはまた別のお話なので割愛されていたが。
「そがぁなもんを何でまた……別に魔狼は必ず契約の継承を行わずともええゆっとった様な気がするが」
生まれた時から長子の血統は魔狼の仮の主ではあるらしいのだが、そこで改めて本契約を行わない限り魔狼の影響を受ける事は無い。そんな事を、既に亡き前継承者候補にして自分にとっては友でありウタリにとっては父親にあたる人物から聞いていたシンは、鱗に覆われた顔をあからさまに怪訝げなものへと変える。
その問いに返って来たのは、どこか自嘲する様な笑みを口端に浮かべるウタリのぽつりとした小さな囁きであった。
「……簡単にいえば、
延命のためだ」
「…延命、じゃと…?」
「師匠は知らなかったか。私は病気持ちなんだ。ちょっと厄介なタイプの、な…」
トライア病という病が在る。簡単に説明するならばソレは心臓に関する重い病気だった。
医師の説明では、心臓が少しずつ弱っていって最終的には動きを止めてしまう…病例が少ない為に詳しい病状や対処法は分かっておらず、治療法すら見付かっていない難病――俗に言う〝不治の病〟とも言われる様な病である。今のところ分かっている病状は、潜伏期間が非常に長いモノである事と若い頃に発症すると病状の進行がとても速いという事。そして発症した者は現段階では確実に死亡する、という事だけだった。
症状が出始めたのはシンと旅路を別にして数年後の事になる。潜伏期間中に目立った異変が在る訳でも無し、当人がまず気付いていないのだ。師が知る訳も無いのは当然だろう。
説明している内に驚きのあまり声を失う師の姿から視線を外す。
(やれやれ……そんな顔をさせたい訳じゃなかったんだがな)
久し振りの再会だというのに、こんな碌でも無い事を報告しなければならないとは。
どうにもならない、仕方のない事なのだとと分かっていてもこの時ばかりは。病に冒された我が身を心の底から恨めしく思いつつ、ウタリはそっと瞼を閉じた。
※あとがき※ とっても久し振りなAfterSideをお送りします。
今度こそ明るい内容を…と思っていた筈なのにそう明るくない罠。
…あれ? 前半は明るかったのにあれれ…?
まあ仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれません。
終わりの自覚はまだないが、それでも確実に終わりは近い。
久々の客との邂逅の中、それを自覚する夏の終わりの事。
まだ前半。
後半はさて、いつになるのやら?(苦笑)
PR