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何が起きたのかさっぱり分からなかった。
ただ、異様なモノを感じると同時に身体の感覚すら無くなって、気がつけば白い床が目の前にある。ああ、自分は今倒れたんだなと気付いたのはそれからで、一体何がどうなってこんな状態にあるのかはさっぱり理解が出来なかったけれど。
頭の芯が妙にクラクラする。ズキズキと痛い上に気持ちが悪い。吐き気とまでは行かないけれど、何と言えばいいのだろう。この異様な感覚は。あまりの事に声も出せない。震える体を自分で抱きかかえるぐらいしか出来る事は無くて、床に倒れ伏したままぎゅっと目を閉じた。
「ちょっと辛いだろうけれど、我慢して……今、君の認識出来る概念の拡張中なんだ。元々適正はある様なんだけれど、普段使わない部分を使う分…どうしても色々とね。改変してあげないとまともに扱えないのでは願望が叶った事にはならないだろう?」
言っている事は良くわからないが、とりあえず碌でもない事をされているのだけは理解出来た。
何となく、もしも脳みそを直接捏ねまわされたらこんな感じなのかも…などと現実逃避しかけたが、想像してみるととっても気持ちが悪くなったので思考を止める。とりあえず、今はこの苦行が終わる事を祈るのみにしておくべきだろう。
「……ふむ、このぐらい改変をしたら後はまぁ…大丈夫、かな?」
「…。……。………」
結局あの後十分間ぐらいは延々と苦しむ羽目になった。
流石に息も絶え絶えといった状態で、何か一言言いたくともその余裕は一欠片すら残って居ないという具合である。とにかく、今は何よりも身体を休めたい。そんな気分でぐったりと床に寝そべっていると、『彼』は小さく苦笑したようだった。
「ごめんごめん……やっぱりモノがモノなだけあって、負荷も大きかったようだね。でもこれで君が『導術』を扱う為の準備は出来たと言う訳だ」
「…その…どう、じゅつ……って……何……?」
「…そうだね…分かりやすく言うならば、様々な制約や制限が付いた上でほんの短い時間だけだけれども、人の身で『世界の理の改変』を行える技能…といった所かな? 雰囲気としては魔術が近いかもしれない」
「……?」
「君の願望である『力』の付与にあたって、本来適性が少ないモノを新たに扱えるモノにするには対価が如何しても重くなる。だから今回の対価交換にあたって、君には僕が『人』だった頃に扱っていた簡単な術式を貸し与える事にした」
「かし、て…?」
「そう。もっとも、全部では無く一部だけを、一時的にね。……さて、後は世界の理側との楔を打ち込むだけ、と。…『彼女』について行ってもらおうかな」
おいで、と何処へともなく『彼』が囁いた途端。するりと月光が作り出す青年の影から、抜け出してくるものが居た。それは人よりも少し大きい程度の狼の様に見える。純白の毛に、ふさふさとした狼にしては長い尻尾、そして涼しげなアイスブルーの瞳が印象的な、其れは美しい獣だった。
狼は此方を品定めする様な眼差しで一瞥した後、青年を見上げる。その毛並みを撫でながら、『彼』は口を開いた。
「彼女は『天狼』と言う存在で、僕の従者の様なものでね。といっても、その一部なんだけれど……僕はこの端末を『レナレンス』と呼んでいる。今回の契約の証として彼女を君に貸し出そう」
「…何で、また…?」
「僕が世界の理そのものだとすると、従者である彼女を含む『天狼』と呼ばれる存在は…理の欠片、或いは断片の様なものでね。色々と改変の際に法則や概念なんかに干渉する為に必須な、鍵の様なものになるんだ。幾ら適正があろうが、扱えるだけの改変を行おうが、この『天狼』との繋がりが無ければ唯人に『導術』を使用する事は出来ないんだよ。世界と君を繋ぐ一種の楔みたいなものだと思えばいい」
「…うぅ、…よく、わからないです……」
「まあ、今はそんな余裕も無いだろうし仕方が無い話かもね。…後で彼女に聞けば良いよ。詳しく教えてくれるはずさ。君にとっては『導術』の先生代わりにもなってくれる」
そういう訳で仮契約を行おうか、と言いだした『彼』はぐったりとしたままの此方の腕を取る。振り払う気力も無くてそのまま好きにさせていると、レナレンスと言うらしい狼の眼前に掌を差し出す様に持っていく。そして次の瞬間。
がぶり。
「………っ!!??」
噛まれた。
指先をほんの少しだけど。
「な、…な……何を!?」
さっきまでの疲労感なんてすっかり忘れて、自分の腕をつかむ青年の手を振り払う。慌てて指先を見ると、やっぱり歯型が付くぐらいに噛まれていた。ズキズキとした痛みに顔をしかめる、しかも良く見ると血がじんわりと滲んでいた。噛むにしたってこう…もう少し甘噛みとか出来なかったんだろうか。
「ごめんね。血がどうしても必要なものだったから。指先を刃物なんかで切るよりかは良心的かな…と思ったんだけれど」
ようやっと身体を動かせるようになってきた。身を起こせば、抗議の意思を込めて見上げた視線には悪びれない態度で「ははは」と笑いながらのたまう青年。まあ、確かに刃物でざっくりやるよりはマシといえばマシ(傷口自体はそれほど大きく無い)なのかもしれないが…せめて事前に一言ぐらい言ってくれたら良かったのに、と思ってしまうのは仕方の無い事だろう。
「でも、これで仮契約は完了した筈。……彼女の声は聞こえるかい?」
「…ぇ?」
『色々先程から振り回されているのは見ていたわ。ごめんなさいね…この人、こういう性格なのよ』
「あ、いえいえ…ちょっとは慣れてきた気がするから………って、アレ…今の」
涼やかなものを感じさせる美しい女性の声音だった。脳内に響き渡る様なそれに思わず眼前に立つ白狼を見ると、蒼い瞳がほんの僅かに細められる。笑った…のだろうか。そんな気配と共に声が続く。
『聞こえている様で何よりだわ。セリス=マジョリス…といったかしら。これからの貴方は私の仮の主。…まぁ、どれ程の付き合いになるかは分からないけれど、宜しく、といっておこうかしら』
「……は、はい。宜しくお願いします…」
なんだか自然と畏まってしまいつつ頭を下げていると、彼女は小さく笑いながらするりと自分の影の中へ沈み込む様に消えていく。思わず自分の影をぺたぺたと触ってしまった。勿論、通り抜けたりできる訳は無い。
「あの、彼女は…どこに?」
「普段はそうやって君の影の中に潜んでいる筈だよ。必要があれば呼べばいい。肉声でも、それこそ思念ででも構わないよ。何にせよ、彼女は絶対に聞き逃さないからね」
此方の問いに答えながら、彼は一つ手を打った。パァン…と乾いた音が響くと同時、先程まで座っていた浮遊椅子が幻の如くかき消える。次に、佇んだままであった眠っているかのような少女の側に歩み寄れば『彼』は彼女をそっと抱き上げた。そっと髪を撫で、何かを呟く。
途端、少女の姿がまるで一瞬乱れた映像の様に歪んだかと思うと爪先から音も無く小さな無数の欠片に砕け始めた。その欠片は砕けたガラスの破片の様に一瞬煌めきながら虚空に一つずつ溶けていく。思わぬ光景に声も出せないでいる内に、あっという間に少女の姿は跡形も無くその場から消え失せてしまっていた。
「……え、…あの…え!?」
「送ったまでだよ。君の本来居るべき場所へ。……さぁ、次は君が還る番だ」
「!」
その言葉にハッとして自分の両手を見れば、先程目の前で起きたのと同じく指先から小さな断片と化して消え始めている。痛みは別にないが、消えた先から感覚がなくなって行くのは何だか少し怖い。とはいえ、多分害は無いのだろうが。
「じゃあね。君と話せてなかなか有意義だった。久々に楽しめた気がする。…それに、心配ごとも一つ解決した事になりそうだし。……嗚呼ちなみに、さっきの魔狼のレナは僕が君に示した対価をちゃんと払えているかどうかの監視役でもある。無責任に放り出して居たりしたら分かるから気を付けて」
「……そんな事、しないです…っ!」
「なら安心だ。任せた甲斐はあると言う事かな? ……まぁ、でも」
ひらひら手を振って来る姿は完全にお見送りモードのようだ。呆れ混じりの視線も気にした様子も無い事に思わずため息をつく。そんな此方の姿に、くすくすと何処か悪戯な笑みを湛えていた『彼』はしかし。フッとそこで真顔になれば、聞こえるか聞こえないかと言うぐらいにギリギリの声で囁いた。
「……本当に、あの娘が幸せに暮らせるようにして貰えたら幸いだよ。それが、あの娘に託された唯一つの願望だからね」
宜しく頼んだよ、セリス=マジョリス。
そんな言の葉が聞いたのを最後に、意識が暗転した。
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