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それは何時の事だったのでしょう。
それは誰の事だったのでしょう。
今では遠い記憶も、儚い思い出も。
何もかもが薄れて掠れて風化して、無へ帰してしまっても。
それでも心に残るこの『想い』は。
……一体誰に宛てたものなのでしょう。
「レナ。……レーナッ?」
ハッと見上げた先には、見慣れた紫紺の瞳があった。
心配げに、どこか不安そうに見降ろしてくる宵闇の双眸。それを見ていると少し安心するだなんて、きっと彼は知らないだろう。そんなどうでもよい事を思いながら、ゆっくりと相手に届けるための思念の声を紡ぐ。自分の顕現する際の肉体は見た目こそ狼に似た獣のものだが、能力的な点で言うならば獣を遥かに凌駕するものだ。とはいえ、声帯までそういう風には出来ていない。口を開いた所でせいぜい出せるのは獣の咆哮。それでは意思疎通など不可能に近いのは、言うまでも無い話だ。
『…あら……アレイク、どうしたの?』
「それば僕の言葉だよ、レナ。何度呼んでも答えないから、調子が悪いのかと思ったじゃないか」
『人間とは…生き物とは、私は違うわ。体調不良なんてナンセンス。そんな事は貴方もわかっているでしょうに』
「それでも。万が一の可能性だってあるじゃないか」
まったくレナは心配しがいがないなぁ…などと苦笑いを浮かべながら隣に腰を下ろす青年を、改めて見上げた。頭を、背を、毛並みを優しく撫でる手を甘受する。尻尾など振ってやればようやっと表情が晴れた様だった。
「……で、結局どうしたの? 君があんなにぼーっとしてるなんて珍しい」
『別にどう、というほど何かがあった訳じゃないわ。ちょっとぼんやりしていただけよ』
「考え事?」
『さぁ、どうなのかしら……良く覚えて無いわ』
「健忘症には早い……ってことも無いか。だって父さん達が子供の頃から既に居た訳だし」
『…アレイク…最近言うようになったわね貴方…』
「…ぇ…って、わあああちょ、レナ!? ご、ごめんごめん!! そういうつもりじゃなくてっ、こうっ、心配しての言葉だったんだけどそのっっ!!?」
身体を起こせば、思い切り宛て身を喰らわせて地面に倒れこんだ仰向きの胸元を前足でぐいと抑え込み、ついでにその喉元に牙を寄せてやる。子供の頃の様に華奢な印象は薄れ、それなりの身体つきを獲得したとはいえそれでも非力な術師だ。ほんの少し力を込めてやるだけで、むぎゅうなどと呻きつつまったく身動きが取れなくなってしまうものらしい。謝りつつ、ギブギブ!…と地面をバンバン叩いている様子に小さく笑いながら身をどけてやると、少し拗ねた様な顔で睨まれてしまった。
しかし今回ばかりは彼が悪い。女性に年齢関係の冗談を言うだなんて、それこそ氷漬けにならなかっただけ有難いと思ってほしいものだ。そう言外に視線だけで伝えてやれば、流石にバツが悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまったのだけれど。
『…まあ良いわ。それより貴方、こんな所で油を売っていて良いの? まだ引き継ぎ期間中で、仕事、沢山あるんでしょうに』
からかうのはこの辺りにしておくとして、一番気になっていた事を問う。
アスータ・リナから帰還して早、数カ月。自分の双子の妹と共に故郷であるこの里へと正式に定住する事を決めた彼は、里長代理であり彼の師でもある龍(ロン)大師から数日前に呼び出しを受けたのだ。その理由は何と、里長業務の引き継ぎというもの。急にまた無茶といえば無茶な話なのだが理由はある。
元々、『導士』という特殊な術師を排出する世界で唯一の場所であるこの里は、彼の祖先が興したものだという。そして以降はその血族が長として立つのが代々の習わしとなっていた。実際、先代の長は既に故人ではあるが彼とその妹の父親だった様に。先代の長が亡くなったのはまだ彼が幼い頃だった為に長を任せるのは無理だったが、今ならば導士としても申し分のない力を身に付けた立派な大人。今まで旅暮らしで遠方にフラフラ出歩く為に色々問題があり任せられなかったが、定住するというのならばこの機会に譲らなくてどうする……とは、これまで代理で里長業務を引き受けていた龍大師の言である。まったくもって抜け目が無い。
結局、押しに押された事やちゃんと補佐はしっかりつくという事、そして本人的にも父がやっていたのなら…という思いもあって引き受ける事となったようだが、その次の日からみっちり引き継ぎ作業ということで延々と仕事に追われていた筈だったのである。こんな場所で自分の隣に座ったり地面に転がされたりしている余裕は無かったように見えたのだが。
「仕事は一休み。あんまりほら、根詰めてもストレス溜まるだけだし、効率悪いから。その辺りはお師様はよっく分かってるよ……絶妙のタイミングでの休憩宣言なんだからもー…」
『なかなか大変そうね』
「本当、大変だよ……お師様はこう、スパルタだから…色々と。まあ仕事自体はそう難しくて覚えられない、何て事は無いから良いんだけれどね」
にへら、とその場に転がったまま力無い笑いを浮かべる姿からは隠しきれない疲労感が漂っている。今まで結構自由にやってきていたのだ。こうやって長時間拘束されてあーだこーだと指導される堅苦しさが久々な分、疲れやすいのもあるのかもしれないが。まあ、こうやって愚痴れる元気はあるようなのでその点は一安心だろう。彼の場合、本格的に疲れてくると逆に愚痴も何も言わなくなる上に、自分で勝手に全部抱え込んで限界まで無理をするタイプなのだから。
『私も手伝えるものなら手伝いたいものだけれど』
「はは…猫の手じゃなくて魔狼の手、か。そうだね。君の手なら借りたいかも……下手な人に頼むより、ずっと良い仕事をしそうだから」
『冗談よ。やめておくわ。下手に手を貸したらあの人、煩そうだから』
「煩そう、じゃなくてきっと本気で煩くなるよー…こう、急にキレたりとか」
『しかもワザと迷惑かけるためにやりそうよね。子供が大人の気を引くみたいに』
「暇なんだと思うよ…多分」
『まあ、でもあの人の気持ち、分からないじゃないわ』
「…?」
『貴方、からかうと面白いもの。ついつい苛めてしまうんじゃないかしら?』
「……わー…最悪ー。というかレナ…その認識、もしかして君も…?」
『ノーコメント、としておくわ』
「そっか…うん、だいたい分かった……レナの鬼ー…悪魔ー…いじめっこー…」
他愛もない雑談を交わす。文句を言いながらも声は笑っている様子からしても、気分転換程度には十分なっているのかもしれない。身を起こせば、ごろんと横になったまま背を向けて尚も冷血だのどエスだのとブツブツ言っている顔を覗き込んだ。笑っている。
『まったく……貴方も大概子供じゃないのだから、そろそろ起きて戻りなさい。煩い人が来る前に』
「…ぇ、何? もう休憩終わりっぽいの?」
『「あやつは何処をほっつき歩いているんじゃ」…だそうよ。文句を言っている声がここからだって聞こえるわ』
「1時間は休めるかもしれない、とか言ってたくせにたった15分かぁ……やっぱお師様はズルイ。本当にズルイ」
『今更な話ね。それは昔からでしょう?』
「久々だから、忘れてた…っていうか薄れてたんだよね。色々。こんな人だったなー…って久々に思い知ってるよ」
『ふふ、若返った気分?』
「そんな風に思えるには、まだまだ僕は若すぎると思うよ? ……でも本当、思ったより暇が無いから楔式の研究や他の事が出来ないのは痛い、かな」
やれやれ、とため息をつきながら起きあがったその背中に草の葉が幾らか付いていたので前足で払い落してやる。髪もさっき押し倒した際の動きで随分と乱れてしまっていて、仕方なしに括り紐の端を咥えてひけばアスータ・リナに居た頃よりそれなりに伸びた夜色の髪が背に広がった。しかしそれ以上は出来ない。流石に獣の前足で髪を梳いたり整えたりは不可能だ。勿論それを彼も分かっているので直ぐに髪を結びなおし始めた様だが、こういう時は少々もどかしい。……そんな気もする。
「さ、ってと……じゃあ行ってくる」
『えぇ、行ってらっしゃい。根詰め過ぎない程度に、頑張ってらっしゃいな』
「気を付けるよ。……ぁ、ウタリ達を宜しくね。何かあったら知らせて」
『大丈夫でしょうよ。昨日新しく薬を処方してもらって、随分楽そうにしていたようだし』
「一応は一応、だよ……じゃあ、また後でね」
最後に毛皮を軽く撫でて、立ち去って行った背中を見送る。
この調子だときっと仕事は夜まで続きそうだ。次に会えるのは夕食時といった所だろうか? こんなに面倒な事に巻き込まれるならまだ旅暮らしの方が楽だったんじゃなかろうか、とも少し思ったが彼がそれで良いと選んだ事ならば従者たる自分が文句を言うべき立場にはないだろう。
それにしても。
『楔式の研究、ね』
まだ諦めていなかったのか。それは彼には言わないながら、自分が抱く一つの感想だ。弟であり半身で逢う黒魔狼はどう思うかは知らないが、それは少なくとも自分はもう諦めたのかと思っていた事柄だった。
楔式。それは魔狼を血筋に縛り付ける、特殊な術式。自分と弟をツキアミの血族から離れられなくしたものであり、また自分達が本来の姿を失う原因ともなった数百年以上続く忌むべき太古の呪い。その術式に関する全ては一族の中でもトップシークレットだったとは、彼の父親がかつて調べていた中で分かった事だ。そして、秘されていたままにその資料も歴史も全ては長い時の中で失われてしまったのだという。
実際、どういう仕組みでこれほどの長期間の間継続して効果を発しているのか。一体どうすればこれを解呪できるのか。導士の中でも抜群の筋の良さと天性の才能で様々な術式を読みとり解析してのけていた彼の父親をして、何がどうなっているのか理解どころか認識すら難しいと言っていたこの術式を、彼は何時か解除して見せると言ったのは今から数えて二十年以上は前の話だ。
導士になってからも、それ以降のあのアスータ・リナでの生活の中でも何やら研究していたのは見たが…どうやら、まだ諦めては居なかったらしい。その事に、本気で呆れるしかなかった。
『「何時か大きくなったら…君達がこんな契約に縛られず自由に生きていける様な道を見つけ出して見せる」……だったわね』
それは叶うかどうかも分からない果て無き場所にある、夢の様な話だ。今まで何人も、何十人も、魔狼と共に生きてきた主達が挑戦しそして挫けていった道だ。それだというのにそれを彼は選ぶのだと言う。子供であるという幼さ故に、何も知らないからこそそんな事を言えたあの頃とは違う。成し得るのは不可能に近いと知りつつも、愚かにもそれに挑むと言うのか。
『……まったく。全然先の見えない、終わりも分からない事でしょうに。短くは儚い人の生をそんな事に使うだなんて。もっと他にも、出来る事があるでしょうに……』
嗚呼、でもどうしてだろうか。
『本当……貴方は馬鹿だわ、アレイク』
そんな彼の事を放っておけなくなってしまう自分が、一番愚かで馬鹿なのかもしれない。
その言葉は、思い出す度に懐かしく。
その言葉は、思い出す度に切なくて。
その言葉は、……私が私である前の『何か』の記憶を擽るのです。
それは遠い遠い記憶であり想いであって、既に風化した欠片の様なもの。
本来の『私』ならばきっと思い出せたのでしょう。
けれど、既に形を変じた『私』にはその術さえ無いのです。
だから、分からなくなってしまうのです。
この想いは誰に宛てたものなのか。
側に居る『彼』なのか。
それとも……?
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